【開催報告:『親子の手帖』著者 鳥羽和久さんのおはなし会】
無事に鳥羽さんのおはなし会、開催できました!ご参加のみなさまありがとうございました。
あの場を言葉にすることは陳腐なことだと思いつつ、少し感想を書いてみます。
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一晩寝てもまだうまく言葉にはならなくて、この場をどう表現するか難しい。
今日の段階で言葉にできるのは二つ。
一つ目。
頭で考えるのではなくて、体で感じること、目で見たもの、耳で聞いたもの、手で触ったもの、世間でなく、社会でなく、自分が感じたことにもっと敏感になってもいい。言葉を選びながらおはなししていた鳥羽さんは、言葉なんかアテにならないと言い切る。
例えば、イライラして怒る、泣きたくなって泣く。それは社会規範のようなものを軸にするのではなくて、自分の中にあるもの、そのものを大切に、率直に正直に、素直に。そんなものを出してもいい。大人も子どもも。
写真家であり、作家である、植本一子さんのお話を例にしながら、わかりやすくおはなししてくれました。
そして、もし、そうやって外にだして、ちょっぴりしんどそうな人をみたら、私はそっと「うんこをつつく」人になろう。さりげなく気をそらす場所があればいい。大人もね。
そうやって大人が社会や世間にとらわれずに気持ちを解放することができれば、大人がこんなにも子供が縛ることもないだろう。
もう一つ。
人間である以上は、決して一人では生きていけないのだから、いつもどこかで関係性の中にいるはずだ。問題がおこるのは、全て関係性の中の問題だということ。
それを解きほぐすのがユマニチュード、という考え方。元々は介護の業界で考えられた技術らしい。
ユマニチュードのお話を聞きながら、『親子の手帖』を読んだ時のようにドキドキした。痛いところを突かれたような、見透かされたような。
でも、まだ理解が浅くてちょっと難しくて言葉にならない。モヤモヤをもう少しご紹介してもらった本を読みながら感じてみよう。
何度も何度も書いてるけれど、『親子の手帖』は、親を断罪する本では決してない。むしろ、親を解放するための優しい優しい本。鳥羽さんの想いのこもった。これを読んだらすごくね、救われる。
だって、こうあるべきという正しさから解放されるもの。
そしてね、鳥羽さんに会ったら、もっともっと気持ちが軽くなる。
鳥羽さんの言葉はお名前のように、飄々と淡々と話をしたそばから、パタパタと羽をつけた鳥のように軽々と飛びったって行くようだった。深く優しい言葉で重い内容のおはなしをしているのに、その場にとどまる重さがない。
うまく表現できないんだけど。
その飛んだ言葉を丁寧に、一緒に場作りをしてくれた桜井さんが桜井さんなりの再形成してくれた。
さちまるさん、何から何までありがとう。この画像を見ながら復習しました。
また、鳥羽さんに会いに行こう。
今度は私が福岡にいきたいです。
たったひとことのつぶやきを拾ってくださって本当にありがとうございました。
お会いできて嬉しかったです。
私の気持ちも少し解放することができました。
またおはなし聞かせてください。