【『親子の手帖』子どもたちの未来のために、「理解のある親と子どもの精神」の章を読んで。 】
私はここには非常に重要なことが書いてあると思っています。何度か繰り返して読みました。
親が子育てから逃げている。この言葉は衝撃的です。子どもに近づくことが怖い。親は子どもよりも先を進まなくてはならない、親は理解がなくてはならない、親は合理的でなければならない、そんな子育てをしていると子どもは首肯する以外にできなくなると、書かれています。まさに、自分のことを言い当てられているようです。
私は自分で子どもを産むまで、子どもが怖くて、自分が子どもを産んだら、どんな風に育てていいか、わかなかった。でも、産んでみたら、こんなにかわいい存在はない、というぐらいかわいくてかわいくて。
私はいいお母さんになろうとしていたし、実際いいお母さんだねってなんだも言われた。不登校の息子は、学校や保育園では、ほんとにけいくんはいい子で、っていわれ続けて、親しい友人からは、いい子すぎて心配って言われていました。
すでに友人は見抜いていたのです。
私は子どもの自由を認め、自立を促し、理解のある母にならなくてはならないと思っていた。
子どもそのものを見ずに、世間が考えるようないわゆるいい親になろうと必死だったんだろう。
不登校についてもたくさん学んだつもりになっていたし、わかったつもりになっていたけれど、本当に大切なことは、息子に近づくことだった。世間の不登校を学んだり、悩みを共有することじゃない。ダメじゃないけど、それは自分の子どもと向き合うことではないのだろう。
もちろん、誰にも言えなくて辛くなるぐらいなら、吐き出した方がいいし仲間は大事なんだけど。
でも、私の場合、必要だったことは、私自身がちゃんと子どもたちに向き合うことだったんだ。
方法論ではない、と鳥羽さんが葛藤しながら、躊躇しながらも伝えたいことは、親が子どもに近づくこと。子育ての素晴らしさを掴むこと。
そんなお話なんじゃないかと思うのです。
今年2回目の『親子の手帖』の著書鳥羽さんのお話し会をします。
まだお席があります。ぜひお話を聞きに来てください。
https://oyakonotechou2.peatix.com/