【徐脈だって怖い。最初にペースメーカーを入れた時のこと】
今回の説明書類に記載されている病名は「ペースメーカー断線」。これ、病名なんだ。。。最初に入れたときは「洞機能不全症候群」だった。
これも当時はどこにも書き留めていなかったので、一応書いておく。
震災のあった2011年。娘が小学校1年生の12月だった。息子は3歳。その年の母乳をやめている。それぐらい小さかった。
私はすごく忙しくて、残業が60時間労働時間が220時間ぐらい働いてた。都内まで往復2時間。娘が学校で学童。息子が保育園。旦那さんは震災のあとで、ちょうど夏ぐらいから、具合が悪かった。
当時、くらくらして、駅で気持ち悪くなったり、汗がでて立てなかったり、気持ちが悪かったり。すごく心配して、医者にもいったけれどわからなくて、脳の検査、血液検査、心療内科、、、。あちこちいったのに、気が付かなかった。
しかも、その前の年、会社の検診で洞性徐脈と診断されて、ホルター検査をしていた。洞性徐脈というのは、きちんと定期的に脈を打っているが、普通よりも少ない。頻脈や不整脈のほうが危ないことが多いので、あんまり大げさに言われることはない。
気が付かないうちに、くらくらする中で、子供たちのお迎えもいってくれていた。で、今も忘れない、12月の締めの翌日。12月6日朝4時半ごろだったかな。いつもは起きないトイレに起きて、そのまま倒れた。
私たちは4人で布団を並べて寝ていて、トイレに起きたのに気が付いて、あ、パパトイレ?
と声をかけた瞬間。
バタン。。
トイレにみにいくと、旦那さんがあおむけで倒れていた。どうみても、真後ろに倒れたとしか思えない。ああ、死んじゃった・・・?え?冷たいけど。
ねえ、パパ。ねぇ、パパ?ねえ。。。
ウン??ウン?ウン、ナンデワタシ?ココニイルノカナ?
起きた?いやー、わかんないけど、倒れた?のかな?
動ける?
私はその時、倒れたのは、すぐに心臓だと気が付かず、寝ぼけて倒れたのかと思いました。
で、そのまま仕事に起きる時間までは寝て、旦那さんはダイジョウブ、といったのだけど、なんか気持ちが悪いから仕事は休むというので、なんとなく私も仕事を休んだ。一応朝8時半ごろ、近所のかかりつけの病院にいき、先生に何か持病ありましたっけ?と聞かれて、
あ!って気が付いたとのはようやくその時。
洞性徐脈があります。
すぐに心電図を取りましょう。
不整脈です。心拍が30ない。明け方の失神のときは一度(心臓が)止まった可能性が高い。
すぐに大きな病院で診てもらったほうがいい。
救急車を呼びます。病院はS病院。S病院には循環器のいい先生がいます。
K先生を指名しておきます。
救急車にのって近くのS病院へ。救急車で運ばれてすぐにK先生が診てくれた。
これだとまた倒れる危険があるよ、すぐに手術です。ペースメーカーをいれます。
エ?イヤデス。シュジュツ シマセン。
え?だってさ、これじゃあ、また倒れるよ?危ない。頭を打ったら。。。
手術しましょう。
イヤデス。コワイデス。ヨクワカリマセン。
え?パパ手術したほうがいいんじゃない?だって。ほら。危ないよ。
そのあともパパは手術を拒否して、一旦次の診察の予約をとってタクシーで帰宅。
自宅に帰って、私は全く意味が分からず旦那さんにあれこれ言って。
3日間か4日間は旦那さんはじっとしてソファアに座っていた日が多かったと思う。
出かけて倒れたら怖いから、いつも私と一緒にいたと思う。
少しして旦那さんはモルジブに電話して家族に聞いて、義理の妹にモルジブでのペースメーカーの状況を聞いたりして。今回とおんなじことを言っていたと思う。
ワタシハ コドモタチガ オオキクナルマデ イキタイ
結局次の診察のときには、手術しますと、先生にお願いして、手術をすることになった。
モルジブニ カエレマスカ?
旦那さんは聞いていたと思う。
うん、大丈夫だよ。少し調べるよ。
とK先生は言った。
K先生からの手術の説明のとき、私はたくさん質問した。最初で何がなにかわからなかった。
K先生は、モルジブがどの辺にあって、どのメーカーのどの機械をいれたら、帰国しても大丈夫か調べてくれていた。ドイツのメーカーで、一番近いインドでよく使われているもの。
ワタシハ ガンバリマスヨ イキマスカラ。
ペースメーカーは、鎖骨の下に埋め込み、そこからリード線をいれて、心房と心室に沿わせて、心臓が脈を打たないときに、代わりに電気を送り動かしてくれる、と理解している。この時は先生が入れにくくてっておっしゃっていた。2本入っていたと勘違いしたリード線は、1本で心房の方だった。(昨日ペースメーカー手帳を確認してわかった)で、確か6針か7針縫うので、手術後も3日ぐらいは動かせない。4日目以降動かしてよくて、抜糸はたしか1週間ぐらいだったはず。
旦那さんは、前回は早めに退院ができた。
術後、家に帰ってくると、パパは息子に、少しの間、パパは重いものを持ったらだめだから、抱っこはできないんだよ。と言っていた。3か月後の検診ぐらいからあとは抱っこできるようになったと思う。
今回は、以前に入れたリード線は心臓の筋肉に取り込まれているので、処置をしたまま残置する。で、新たに2本のリード線を心房と心室にいれている。
ペースメーカー自体も古いものを取り出して、新しいものを埋め込んだ。
今度はアメリカのメーカーのもの。
手帳も新しくなっている。今度のペースメーカーは、条件付きだけどMRIが撮れるらしい。
技術はどんどん進んでいる。すごいなとおもう。
この会社は2016年にリード線なしのペースメーカーを開発販売している。そのうち、埋め込みなしとかも出てくるのかなー。
前回もだけど、今回もペースメーカーの植え込みは140万円ぐらいだと思う。健康保険のおかげでだいぶ助かる。それに加えて障害者の認定があるので、さらに医療費は抑えられる。
お金がかかる治療でも、こうやって少しでも助けてもらえるとありがたい。イキテイケル、というのは、いろんな意味で助けられていると思う。旦那さんが、外国人で障害者というちょっと特殊な環境でいきているんだけど、おかげで私はいろんなことを知ることができている。日本っていう国がどんなもんかも、少しはわかるようになったと思う。
思い出したことを少し書いておこうと思ったのは、今回の手術の日、母が、当時はこうだった?とかああだったとか?よく覚えていて、私は、全然覚えていなくて。
今思えばパニックだったんだと思う。
下の子が小さかったから、母に来てもらっていて、とにかく病院と家を往復していた記憶だけだ。
資料を残しておいたから、あとで見返すと少しずつ記憶が戻ってくる。
今回はかなり残しておくことができたから、その次、もし同じことをやることがあったとき、また少しはわかると思う。記録って大事だなと思った。
さて、今日は、娘が後期の中間テストで帰ってくるから少しだけ病院に行って、午後は早めに帰ってくる。
息子が病院に行きたいというので、もう一回夕方行けるかな。
おうちの片づけをしたら一回病院にいってきます。
君をみているとホッとするよ、ときわくん。お天気良くないからね。丸まってるのね。