【ラトビアミトンのお話:ヴォーグ社のイベント】
昨日は、ヴォーグ社の編み物講座に行ってきました。恥ずかしながら編み方は自己流だったので習うのはこれが初めて。
ドキドキしながら参加しました。
講師は、ラトビアのミトンの著者のマルタさん。
大学の教授として教えており、現在はご自身でも会社を興しているそうです。
伝統のミトンや衣装がどんどん減ってきていて、危機感があって現在も伝統衣装の収集を行っているそうです。
最初にラトビアのミトンの歴史についてのおはなし。
ラトビアは、バルト三国の一つ。バルト三国の独立は、昭和世代なら記憶にあるところだろうと思う。国土は北海道の半分ぐらいの広さだそう。
マルタさんはラトビアについて何度も2度の独立、というような言い方をしていた。
これは、編み物のはじまり。12世紀から13世紀に1本針で編んでいたころ。今でいえばアフガン編みのようなものかな。ひっかけるところがないけれど。色は1色だった。カラフルな色使いで有名なラトビアミトンだが、一番古いもので14世紀ごろのものが残っているそう。
向かって右がマルタさん。
あんまり大きく撮れなかったんだけど。
写真は、1920年代に、ラトビアの社会学者がラトビア全土でミトンの調査を行った時のもの。
ミトンは2種類あって、日常で使うものと、カラフルな柄でお祝いなお悔やみのときなどに使うもの。
この写真は普段づかいもの。
ラトビアでは、寒い時だけでなく、日曜礼拝などのときにも身に着けた。
仕事で荒れた手を隠すために手袋をした。
ミトンはお金の代わりにも使われた。
羊飼いの少年には4枚から5枚。もう少し大変な仕事は8枚から10枚。
嫁入り道具としてミトンを編んだ。
ミトンをプロポーズにもっていき、結婚の受諾にはカラフルなミトンを渡した。
結婚式のゲストにもミトンをわたした。
花嫁から花婿の家に運ばれた。
得意でない人は100ぐらい、得意でない人も300ぐらい。
家畜もプレゼントされたが、牛の頭をミトンで飾ったそう。
花嫁は結婚式のときに、花の冠をかぶります。結婚すると布をかぶるそう。
(これが妻になった印)
ミトンを家中、庭にも飾る。豊で幸せを祈願している。
子供のミトンはシンプル。
模様がない。
模様に込められたメッセージが子供には強すぎると考えられていた。
お葬式用のミトンは特別なもので、子供が産めなくなる40代から編み始める
この女性は自分のお葬式用のミトンと作っているところ。
ラトビアでは、5歳から6歳で編み始めたことが多かった。
外で家畜の世話をしながら編んでいることが多かった。
夜も家族で編むことが多い。
ろうそくのない時代なので、薪を細くしたものを燃やしてその火をあかりとして編んでいた。
これは編み図。編み図は各家庭で図案を作成していたらしい。これは素晴らしい資料だと思うなー。今はここまでできないけれど、いつかここまでやりたい。
元々ラトビアウールは元々、白、黒、茶の3色しかなかった。
18世紀から19世紀に着色料の開発が始まり、最初は植物で染めていた。
19世紀終わりごろに化学薬品の着色料が使われ始めた。
結婚式には素敵な柄のものが使われるようになる。
ミトンがなぜ、身近になったのか。
ラトビア人は手を守る民族で、指輪やブレスレットを付けているのも魔除け。
ミトンは往復編みではなく、スパイラルで編んでいく。
これは人生の流れを表しています。
図案にも意味がある。わかっているものは、「ラトビアのミトン」にも書いてある。
以上がミトンの歴史と文化の説明。
もっともっと話を聞きたかったけど、これで約1時間。
とても面白く楽しくお話を聞きました。
そのあと、このミトンの手首の部分だけを編む、という講習。
編み図と毛糸は講習料の中に込み。
編み針は13cmの1号の5本針を持って行った。
この毛糸全部25gって書いてあるんだけどねー。巻いてある長さが全然違うんじゃないかなーー(笑)
マルタさんがここを編むのよ!って説明してくれているところ。
とてもかわいらしい女性でした。
一生懸命席の間を行ったり来たりしてくれていた。
私は初めて伝統工芸をちゃんと学びたいと思いました。
こうやって自分に紐づいて初めて歴史が頭に入ってくるという情けない感じだけどそれで入ってくるなら本望だし、面白い。
政治や経済とようやく政治が紐づくのと似ている。
せっかく教えてもらったラトビア編みを忘れないうちにやっておこうっと。