【『旅をしても僕はそのまま』を読みました】
昨年、読書会というか2回おはなし会をさせていただいた『親子の手帖』の鳥羽和久さんの『旅をしても僕はそのまま』を読みました。
これは鳥羽さんご自身の旅にまつわるお話をまとめたZineです。
私も旅が好き。何もしていないではいられない、たぶんそういう性質を持っている。
たぶん、鳥羽さんもそうなのかなぁとおもうけれど、鳥羽さんの中にある衝動のようなものは、私には持ち合わせていないのかもしれないな。
本文を読んでいると圧倒的な知識の差によってそれが産まれているだろうなと感じるんだけど、それでも、それだけでない鳥羽さんが感受した熱がポトポトと落ちてくるのを感じます。
去年の秋から大君の都という、幕末の本を読みながら思っているのは、私は今まで歴史というものが好きではなかったし見たくなかったけれど、歴史を知ることは人生を豊かにしてしまうということを知ってしまった。
過去のある時点から続いている現在を知ってしまうことで、圧倒的なつながりを意識せざるを得なくなる。そしてそれは、自分の存在を肯定することにつながるんだろうなとぼんやり思っている。
旅はそれに似ているんじゃないかと思う。
この『旅をしても僕はそのまま』の最初のお話『残照』にでてくる最後の文が、また私を少し救ってくれた。
『「残照」とは、時代に取り残され人の記憶から消えようとしている世界に手を伸ばし、自分のもとへ必死に手繰り寄せようとすることである。そしてそれが私たちにどこか似ていることをおぼろげに触知することであり、その手触りを大切に抱くことである。このことを通して、私たちはどうにか真っ当に生きていくことができるのではないか。』
もうこの文章を昨日から何度も何度も反芻する。
わからないものの答えを求めるのではなくて、手繰り寄せるその態度というか、そっと触れようとするその行動そのものが、私を真っ当に生きさせてくれているのかもしれない。本当にそうなんだよね。
ほかにもお話が3つ。
どれも難しい言葉は調べながら、線を引きながら読んでいます。
Zineは東京では吉祥寺のTitleで買えますよー。
鳥羽さんのとらきつねでも取り寄せできます。