未来志向でいこう。

今日もまた新しい一日。私と家族の超プライベートな日々の出来事。

【2019年の石井ゆかりさんの占いを読んで驚く。】

ぼちぼちと2019年の振り返りをしたいなと思っているところ。

この前研修で話がありました。
アメリカ人の経営者はコーチをつける。
日本人の経営者は占いをする。

なるほどね。現実的なフィードバックをもらったり、自分の無意識から引き出してもらうか、それとも何か確率的なものから運命を測るか。この前古典の読書会でも言ってたけれど、日本人はずっと昔から占いが大好きだ。

どちらも結局、先のことはわからない、ということをどう受け入れるかという問題なんだよな。で、私は、ここのところ占いというものをよく見ることにしている。

結局忘れてしまうことも多いんだけれど、今頃、今年1年の占いの結果をみてみて、なんだか当たりすぎていて驚いた。しいたけ占いもはやっているし、この前は八卦をみてもらったが、なんと言っても石井ゆかりさんのものが一番当たっている。

これまで運命思考はほとんど持ち合わせていなかった。
でも、ここまで当たっているとちょっと信じざるを得ない。

info.felissimo.co.jp

 

「過去に関すること、
ごくわずかの人としか共有できないような思い、
 自分一人で過ごしたい時間、
といったものにも光が当たります。
この時期に起こる事は、
 第三者には決してわからないようなことだろうと思います。
 大切で、大切だからこそ人の目に触れない、
 「人生の宝物」と呼べるようなことが起こりそうです。」

水瓶座の2019年の面白さは、
 懐かしさと新鮮さ、
 未知の世界と既知の世界が、
 面白い形で入り交じっている、という点です。」

2019年の私は、これまでにおこらなかったような感情の起伏の大きな年でした。仕事でもプライベートでも、家庭内でも。いままでだったら我慢できたようなことが、全然我慢できない。でも、自分の感情に正直に生きたことに後悔はない。

数人わずかな友人、家族、この人にだけ理解されれば、ほかの人には理解されなくてもいい、というところが、いつも心のどこかにあった。やけになっている感じではなくて本当にそう思っていた。
そんな風に思っていると、なんだかいろんなものが少しずつ整理されていっている感じがしている。

 

ただ、なんとなくしんどかったこともあったから、来年はもう少し肩の力を抜いて、少し身軽に生活したいなという感じ。今年ほど一喜一憂するのは疲れるから。

好きな編み物と読書と走ること。
お仕事はその次ぐらいの感じで。
疲れないようによく寝て、よく食べて、よく運動しようと思っています。

 

ぼちぼち100のやりたいことも振り返ってみます。

今年はそんなに動けなかったなあ。

 

【ここぞというときに巡り合う】

 

少し前から会社の研修としてBBTの研修を受講しています。
管理職のリーダーシップ研修。学びとしては様々なリーダースキルや在り方を学びます。

そのさなか、ちょっといろいろあって、本気で仕事を辞めたいというような出来事がおきました。今まで、なんどもなんども辞めたいと思っても、口に出して辞めます、と言ったことはなかったのですが、今回ばかりは、ほとほと疲れて、先週の月曜日、辞めさせてくださいと上司に話をしました。

 

そのあと上司とその上の役員の二人に呼ばれて、少し話をして、翌日火曜日は1日お休みをもらいました。

サボりです(笑)

 

火曜日はいつもと同じ時間に家をでて、1人で鎌倉の海に行きました。とてもいいお天気で暖かくて。平日の昼間なのに鎌倉は観光客でいっぱい。海にいけばサーファーもいっぱい。江ノ電にゆらゆらと揺られながら、ぼんやり外を眺めながら思ったことは、何してんのかなーってこと。長い人生なのに、1日サボったぐらいで、そんな風に思うもなのだな。


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次の日、水曜日はちゃんと仕事をして、木曜日も仕事をして、その週末には上司にちゃんと話をしなくてはならないと思っていました。
いつもの席とは離れたところで、仕事をしていると、となりのチームのもう15年一緒にやっている同僚が、声をかけてくれました。

 

まぁとにかく彼女は怒っていました。
こんなことでね、辞めていいのかと、引き留めてくれました。それが木曜日。

 

金曜日、いつまでやれるかわからないが、とりあえずいまは辞めないで頑張る、と上司に伝えました。

 

土曜日は、宇宙の話と編み物の話を聞きにいってリフレッシュ。
日曜日は、1日研修にどっぷり。

 

久しぶりに疲れがたまっていたのか、その週末からヘルペスがでて、今週1週間はいろいろな調整ごとで埋まった1週間。今日はようやく金曜日。疲れたな。

 

そして、今朝、私の直属ではないほとんど話したこともない役員からメールがきました。その役員は東大出身で、もともと大企業にいてそこでもさまざまな修羅場を経験して、ある別の役員との縁でうちの会社に来られた人です。かなりキレキレです。少しお話がしたい、とのことでした。この賢すぎる役員から呼ばれるのだから、ああ、あれこれ話が回って、お説教かなと思って呼ばれた小部屋に行きました。

その方は1冊の本をとりだして、

 

これはね、僕の人生を変えた本。香取さんには、今、この本がいいんじゃないかと思うからね。差し上げます。今までにもたくさんの人に勧めた。読んでみて。入ってくるものがあると思う。

 

渡されたのはこの本。


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私も、これまでたくさんの人に本をプレゼントしてきたので、本を贈るというのがどういうことか、よくわかっているつもりです。
いま、この人にはこの本がいいかな。
受け取ってくれるかな。
読んでくれるかな。
どう思うかな。

きっと、何日か考えた時間もあって、手渡してくれたんだと思う。そういう気持ちが本当にありがたいと思った。

少し小部屋で話をしたあとにくれたメールに書いてあったのは「ぼくはこの本をたくさんの人に贈ってきたけれど残念ながら成功例はありません。今回香取さんがもし成功したら最初の成功例となります。」プレッシャーだなあ(笑)と言いたいところでしたが、 ぐっと我慢して、まずは本を読んでみて、そのあとまたお話をさせてください、とお返事しました。

 

私はいつも周りの人に恵まれているな、と思う。
たくさんの人がいる中で、ここぞというときの人の巡りあわせがある。これはどうしてなのかわからないけれど、いつも必ず助けてくれる人がでてくる。

 

本当にありがたいことです。

 

少し落ち着いてゆっくり読んでまた感想を渡しくださったその役員とまずはお話ができるといいなと思います。

【ボクラノアミモノ あみものカレッジ】

趣味で編み物をします。まぁ、ほんと趣味なので将来教えようとか、編み物作家になりたい、とかではない。でも、理屈は知りたいなと思うことが多いです。

 

で、時々編み物の技術ではなくて、歴史などのお話があると聞きに行ったりします。
10月だったか、11月だったか、毛糸屋さんのKeitoでのイベントで、手芸協会の横山さんの編み物夜話を聞きにいったときに、アミモノカレッジなるものの宣伝をしていて、面白そうだったのでお話を聞きに行くことにしました。

 

アミモノカレッジの目的は、編み物の手技を教える目的ではなくて、編み物をもっと俯瞰した講義となっていました。
まずは、編み物の歴史。

編み物って不思議、魔法みたいだよねってお話から。編み物が発明されたのはどうやら紀元前のようですが、最初は編むというよりも結ぶ、からだったようで。その後織る?その後、編むになったのではないか。魔法のようだというのは、結ばずに輪と輪をひっかけることで伸縮する、ほどける、ということができるようになり、発達していったらしい。ほどいて編みなおせる。これが魔法みたいっていうのはよくわかる。

 

なるほどーー。この日2回目のなるほど。。。宇宙の話を午前中聞いていたので、午後には歴史をきいて、なるほど。

 

そして、この話を日曜の夜のオンライン手芸同好会で話をしたら、ちょうど1400年頃って飢饉があったりして歴史もあやふやだったころかもねえって話になり、ますます魔法っぽい(笑)

 

その後、今度はちゃんと、科学のお話。編地の観察、糸の観察。観察に必要なスケッチの方法などを習いました。
科学的に物事を観察する、ということを日ごろほとんどしていません。ですが、手法を習えばだれでも同じ結果が得られる。これは科学の大切なポイントかもしれません。

 

今回の講義では

*まずは好きなように生地をみてスケッチする。
*編み生地の構造を科学的なスケッチをする。
*毛糸の構造を科学的にスケッチする。

『構造』というテーマを決めて、このテーマ(目的)以外の要素を取り除いて、スケッチするということがポイント。ここでは写実的なものや、印象的なものは不要。オリジナリティも不要です。(ばっさり!)

 

以前にスケッチの講座で体の構造をスケッチする、というのを習ったのですが、そのときは、手と足は棒でいいと習いました。

それに似ています。

 

そのあとは、毛糸メーカーさんに提供いただいた毛糸を使って、自分なりに毛糸を分類する、ということを行いました。たくさんの糸の中から、好きな糸を選んで分類していきます。ここでは大いにオリジナリティを発揮する場面です。

昨日はブルー系統の糸が多かったので、私は青色をテーマに海の色にしてみました。
出来上がりはこちら。

 

 

たかが趣味、されど趣味。ここまで来れると自分のこれまでの固定概念が緩んで、刺激が多くて楽しかったです。

 

普段は友達とオンラインでつないで手芸をしたり、リアルで会って同好会を楽しんだりしていますが、こうやって時々真面目に勉強するのもいいですね。

三國万里子さんの新刊もでたことだし、少し読書はお休みして編み物する時間も楽しみたいと思います。
 

【GITAI 田口さんのお話】

 

昨日は友人のみゅーさんが主宰する6Csらぼのイベントのトークの会にお邪魔してきました。

6cslab.com

ご縁はこのブログの私のアイコンを書いてくれているマリサさんが、GITAIという宇宙ロボット開発の会社の田口さんとお知り合いだったことで、6Csのみゅーさんとも協力して開催された。

 

marisa-hula.com


本当は息子と行くはずだったんだけど、ちょっとぐずぐずなってたから置いて行って、私は半分遅刻して、参加。

後半からのお話だけど印象に残ったところだけでも書いておこうと思う。宇宙ステーションは地球から400Kmのところに打ち上げられているそうです。千葉から京都までの直線距離ぐらいらしい。月と地球が38万キロぐらいらしいので、地上にかなり近いことがわかる。

重力というのは完全に0になることはなくて、600から660Kmあたりで限りなく0(ゼロ)に近くなるらしい。

ということは、400Kmということは、微妙に落ちてきている。だから時々ロケットで400kmあたりに戻しているらしい。

 

宇宙ゴミの話(前半で宇宙ゴミの話があったらしい)では、それを捕まえるのが難しい。
なぜなら、宇宙ゴミはすごいスピードで回転しながら浮いているので、それを捕まえること自体がかなり難しいらしいのだ。網のように捕まえるのも、つかむのも現実的には難しい。まずは、同じ回転をすることができるか、というあたりから研究しているのだそう。

 

田口さんが在籍しているGITAIという会社は、JAXAと協力して宇宙ステーションのキボウのロボットアームの開発をしている。ロボットというのは実際は、命令で作業をするのは非常に難しいらしく、工場などで採用されているプログラミングによる作業ロボットのように同じ作業を繰り返し行うこと以外には、自立して自ら動くということぐらいしかできないらしい。

つまり、人間の命令(プログラミング)でロボット自身が作業することはとてもとてもとても難しいらしい。
なので、現在のロボットというのは、遠隔操作というのが現実的らしい。

実際の映像はGITAIのホームページで確認してほしい。

めっちゃかっこいいい。現代のガンダムかいな?!

しびれるじゃないか。

gitai.tech

 

そして、このロボットを実用しようとすると、宇宙ぐらいしか使えるところがない、つまり、地上だと費用的に人件費のほうが安いのだ。人が作業に行くよりもロボットを乗せていって、遠隔操作するほうが費用が安い、つまり、そこがビジネスになりそうだ、という話だった。

めっちゃ納得。なるほどーーーーー。深くうなずいてしまった。

ロボットよりも人件費のほうが安いってそれはそうかもね。

障害者カフェで使われていたロボットもそういえば遠隔操作だったことを思い出した。ほかにもたくさんお話を聞いたけれども、これが最もインパクトに残っている。

なんか、「難しい」と「らしい」ばかり多用して読みにくいブログになってしまったけれど、一応私のわかったところまで、記事にしておく。次の行くところがあって、集合写真には混ざれなかったけれど、またどこかでお話聞く機会があると嬉しいなぁ。


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【できるかも、、と実感できること】

息子はここのところ、毎日学校に行っています。

ありがたいことに毎朝友達と一緒に行けてるようで、家を出る時は1人ですが、途中でまちあわせをしています。

 

学校で、今、流行ってる鬼滅の刃の話をしたいからなのか、ゲームを一緒にやりたいからなのか、わかりません。

 

土日も出かけることが増えて、公園で遊んだと、何人か友達を連れて帰ってきて、そのままゲームしたり。

 

基本的には私はなんにも言わないんだけど、この前は寒いから中に入ったら?って言ったけれど、いいです〜って言って、最後は縁側でやってました(笑)

 

家庭教師の先生との勉強も続けています。学校の宿題はやらないのですが、先生との宿題はやっています。ここのところ、少し復習問題をやっていて、小4の小数点×小数点の問題がスルスルと解けて、本人ができた!と、はにかんだように笑い、嬉しそうにしていました。

 

できるかも、って思えることは、チャレンジできることに繋がる。いつも前向きでなくても構わない。でも、これをやりたいと思うことをやれることが大切かなって。

 

家庭教師の先生に来てもらうのは、何度もやめようとも思ったのですが、息子はいつか学校に戻りたいと思っているのを何となく気がついていたので、続けていてよかったんだろうなとようやく思えることができました。

 

先週は音楽発表会にも出て歌ったり、今月はマラソン大会も出るようです。以前のようなプレッシャーでご飯が食べられない、ということはなさそう。

 

来年は学校のサッカーをやろうかなと言っています。大好きな友達も一緒にできるかも、って。

 

実際やるかどうかはまた次のステップとして、今は少しずつやる気になってるので、それでいいかな。

 

これからも見守りたいと思います。

【懐かしい人に会う】


昨日はすごく久しぶりな友人に会ってきた。

しばらく前からやり取りをしている。今年、会いたかった人のうちの一人。

 

長い年月会っていなかったから、最初はなんだかとても不自然でぎこちなかったけれど、話すうちに、ああ、こんな人だったかもしれないなって思いながら、少しづつ話をした。それにこの不自然さもぎこちなさも、何となく嫌じゃなかった。

 

それぞれいろんな経験をして、それなりに歳をとり、これまでに起きたできごと、よかったことも辛かったことも、共通の友人の話も昔付き合ってた人の話も。たくさん話をした。

 

私は先のことを考えることが好きで、過去のことを話すのはあんまり得意じゃないから、自ら過去のことを話すことはあんまりしないし、実際聞かれたから思い出すことも多くて、それまで覚えてないことも多い。

 

だけど昨日はなんだかたくさん話をした。

 

こんな風に昔のことを話すことができる存在でいてくれる大切な友人に心から感謝している。何を話しても、そーかー、そーかーって聞いてくれる。

 

この前、別の心の勉強をしている友人と話をしたんだけど、過去のことを癒せないと先に進めない。大きなことを乗り越える必要が出てきた時に、過去のことが引っかかっていると、先に進めないということが起きるらしいのだ。


なるほど、って思った。

 

だから、少し辛くても、過去の自分を振り返って、その時の自分の気持ちを受け止めてあげることが必要なんだと思う。

 

私が話すだけじゃなくて、友人の話も聞いたんだけど、もっと聞きたいと思った。できたらこの友人の中にある小さな子供のような心が、ゆっくりと、少しずつでも癒されるといいなと思う。

 

また、会いに行くよ。

たくさん話を聞かせてね。



【PTA主催のフェスティバルの役員のお仕事と息子】

 


昨日は、土曜参観(うちの学校ではオープンスクールという)と、午後からはPTA主催のフェスティバルというお祭りでした。息子が学校に行ったり行かなかったりなのですが、給食費も学校費もPTA会費も払っているため、学校の行事は参加させてもらうことが多いです。

で、まぁ、学校のPTAの役員は回ってきます。その中のフェスティバルの役員にくじできまりました。最初の2回は会議と仕事の会議が重なり欠席。出し物は去年と同じものを、ということに決まった。

出し物は、バザー、手作り品、有料ゲーム、無料ゲーム、味覚、体験コーナー。
子供が減る中で主催する担当も、当日、前日の会場のお手伝いを募るだけでもかなり大変。息子の学年は今年は有料ゲームコーナー。

役員はゲームを主催するために、会場の設営、景品の購入、お手伝いさん達の配置、前日準備、当日の仕切り、会計、これらを2人でやります。
なかなか大変です。

 

私はいつもこういうのってやり始めるときはすごく腰が重いんですけれど、やるとなったらやる、と頑張る。一緒に作業させてもらった人たちと話ができるのは、とても勉強になる。息子の学年のお母さんたちは、手伝ってくれる人が多くて本当に助かるし、あれがだめ、これがだめ、とかいうこともほとんどないです。

学校のことはめんどくさいことも多いんだけど、やれることはやろうと思うのが親心。
外にいて批判することが一番簡単で、一番変わらない。内側だからこそ感じて、動こうのするんだろうな。

反省会では、習い事や家庭の都合で、来られない人もぼちぼちでてくる中で、継続自体がどうなんだろうという声も、委員の中からもかなり上がっていました。有志でやるのもいいのかなーとも思いますが、お手伝いが出てこないとなると、なかなか大変だと思う。

子供たちが少なくなっていく中での運営はやっぱり考える時が来ているのかなぁって思う。形を考え直すときかなぁ。

 

あと、息子は仲のいいお友達と参加できました。

2年生の時のお友達。今もずっと仲がいい。来年はクラス替えがないというのは決まっているので、最後までクラスは別なのが決定なんだけど。ゲームコーナーで二人を見かけたんだけど、その子もけいのことが好きなんだろうなって思ったのは親の欲目なのかな。

 

息子は昨日帰ってきてから、

僕ね、5年生はあと少し学校に行くと思う。6年生は全部行く。

と話した。

私は、

そう。

と答えて。お勉強はいくらでもやりたいときにやればいい。でもね、友達は、その時一緒にいないといつ会えなくなるかわからないもんね。

 

って、思ったけど。言わなかった。

私は、息子が学校に行ってもいかなくてもいいと今も思っています。行ったからよし、とも思わない。息子が息子らしくいてくれればそれでいい。

 

役員の仕事でも、学校でも、仕事でも、難しいことばかりでも、その中に少しの楽しみを見いだせて、やっていけるかも、って思えたらそれで充分なんだろうと思うのです。

 

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