【不登校:親子の距離】
小4の息子は去年の秋から半年学校に行きませんでした。行けなかったのか、行かなかったのか、どちらかと言えば、行かなかったように思っています。
子どものことは親だから普通に心配しますし、大丈夫かな?と思いますが、最終的には子供だって自分のことは自分で決めることだと思っています。
息子がこの前言った一言。
ママ、休んでも、誰も何も言わないね。
息子は、なんでまた休むのー?とか、どうして休んだのー?とか、休んじゃいけないんだよーとか、そもそも、今、学校じゃないの?とか、何かを言われること、恐れていたように思う。
でも、気がついた。
休んで学校に行っても、誰も何も言わない。
ただ、ふつうに接してくれる。
そうだねーー。でもね、そうじゃないときもあるんだよ。言わないけど。
息子は誰にも何も言われないということを知ってから、ますます自分で行く日といかない日を決めるようになった。
これはいいことだと思っている。ジブンで決めているってことは。
私でもない、先生でもない、友達でもない、ジブンで行くか行かないかを決めている。
私は去年学校に行かなくなったとき、少なくとも字をかけることと、計算ができることはできたほうがいいだろうと、家庭教師の先生に来てもらうことにした。もう一つの大切なことの一つは、家庭に家庭の人以外の人に入ってもらうこと。これは私が教えることをマジかで見られるいい機会なのと、先生と息子の距離がとてもなんというか、近すぎなくていいなって思った。
私たちも1週間に1回お客様が来る生活で、定期的な部屋の片づけや、いろんなことのメンテナンスをするようになった。
そして、私は私自身が子供と適度な距離を保つことに気を付けていた。
甘えたい時には甘えさせるけれども、仕事を辞めてまでとは思っていない。通勤は考えたいと思うことはたびたびあるし、家でするに仕事にしたいな、とか思うけれど、仕事をしない選択肢はない。
息子がマイナスを持っているとしても(いまそうかは別)、私がそれに引っ張られることのないように気をつけている。
だって、息子がマイナスだったとしても、そのマイナスは私のマイナスではないんだもの。
親として?母として?
うん、そういうこともあるだろう。でもその前に人だから。
勉強が苦手でやりたくないとなったとき、ほかの選択肢をいろいろ考えなくてはならないけれど、最終的には息子が選ぶことだ。
大事なことは、自分で選択したと思えること。
全ては、自分の人生なんだと思えること。
そういう風に自分で生きていけるようにすることが親の役目と思う。
そうそう、ときわくんは、ご飯とおトイレ以外はすべて自分で決めるんだものね。きままな猫のような生活はお手本のようだ。