【『親子の手帖』おはなし会を開催しました】
私は何度も本を読んでいたし、わかっていたように思っていたことが、またわからなくなり、頭がごちゃごちゃのまま帰った。
そうかな?とか、どうだろう?とか、モヤモヤ、腹落ちしないこともあるから、それはゆっくりと言葉が落ちてくるまで待つことにする。
私が鳥羽さんの本を読んで行動したことは、問題を解決するということじゃなくて、問題を一旦おいて、私が息子に近づくということ。私は息子に少し近づくことができただろうか。昨日のおはなしを聞きながら、星野源の歌詞を朗読しながら、私が息子との関係性をぐるぐると考えていた。
近づいたような気もするし、離れたような気もするし。
鳥羽さんのおはなしの中には、絶望的なおはなしもあったが、それは鳥羽さんのお人柄なのか、論理的な説明からなのか、経験値なのか、丁寧な洞察なのか、なんでかわからないけれど、どうにかしなくてはならないという覚悟みたいなものが感じられる。本当にどうにもできないことなのか?と問うているようだ。
誰かのせいや何かのせいにした瞬間に終わってしまうんだ。きっと。その残酷な現実を直視して、いったい私にできることはなんだろうか、と考える。そのことを知ることから目をそらさず、少し近づけるなら近づいてみること。近づいてもやっぱりわからないやと感じるかもしれないけれど。
鳥羽さん、
昨日は本当にありがとうございました。
星野源の歌詞の朗読は、何点だったでしょうか。
それから、お弁当のお話は一生忘れません。
桜井さん
一緒に準備をいろいろありがとうございます。
手話グラレコチームにぜひともお礼をお伝えください。
もろもろ反省点があって、企画をするのはいつもたくさんの学びがあります。
ありがとうございます。