【おんぶして】
行ったり、休んだりを繰り返して、息子は日々ストレスというか、葛藤してるようにみえる。
昨日は珍しく、パパにおんぶして!とおんぶをせがんだらしい。パパは、最近、息子がそんな風にいうことが随分と減っていたから、少し嬉しそうだった。
パパはいいよー、と3回おんぶしたそうだ。夜も絵本よんでーと、言うので絵本を読んだ。
息子は赤ちゃんとお兄ちゃんを行ったり来たりしている。
小さい頃から息子は甘えんぼうだったけれど、グズグズするから面倒だから、とか、泣いて歩かないから、とか、なんだか親が手を抜いて甘やかしてきたような気もする。最近、彼はそんなんじゃなくて、言葉に出して、甘える。
この前鳥羽さんのお話し会で「存在のゆりかご」という言葉を知った。子供は「存在のゆりかご」で揺られながら育つ。私の理解では「存在のゆりかご」というのは親と子のやりとり。もちろん言葉もそうだし、スキンシップもそうだと思う。このやりとりをしながら、自分という存在を認識していく。
息子はまさに少し遅めだけど甘えるという行為をして、自分の存在を確認しているのかなあと思う。
昨日は、息子は学校に行っていなくて、コミュニケーションが希薄だ。だから、自分の存在を確かめるために、親に甘えているようにもみえる。
鳥羽さんのお話の中では、この「存在のゆりかご」が、とても希薄な親子の話が出てきた。というか、成り立たない親子だ。とても怖いお話で、背筋が凍るような話なのだが、そのお話を知ってしまったのちに、私ができることは、息子の存在のゆりかごになれているのか、と自問自答することしかできない。
今朝、息子が学校に行くんだけど、学校まで一緒にきて、というので息子を学校まで送っていった。途中、息子よりもずっと小さな学年の子が、下を向きながら半歩ぐらいずつの歩幅で歩いてた。その少し前をお母さんがスエットのポッケに手をいれて歩いてた。お母さんは時々振り返ってその子をみてる。思わず顔を見てしまったが、とても若くて綺麗にメイクをしていた。
はっとして、目をそらしてしまったことを息子は気づいたかも、しれない。
息子と雑談をしながら、その場を追い越すと、息子が、あの子、、、、、息子の声が小さ過ぎて、なんと言ったか聞き取れなかった。1年生って聞こえた気がした。
クラスまで一緒に行くと、お友達が周りにのよってきて、カラカラと笑う。息子はなんだか言い訳してたのか、息子もカラカラと笑う。
私はそのまま学校を出て、校門の前に出ると、さっきの親子がまだ門の外にいた。さっきまで首が折れそうなほど下を向いていた子が、校帽の下から私の方をちらっと向いた。
私は、さっき挨拶し忘れたなあと思って、おはよう、っとだけ声をかけて、返事はなかったけど、ま、いっか、と、通り過ぎて自転車に乗った。
今日もお天気良さそうだけど、お布団は干せないなあ。で、あ、しまった、会社へ連絡し忘れてた!と思い出して、会社へ電話して謝った。
ときわは今日は、お留守番だな。
*途中に出てくる子は、少し現実と変えています。