【不登校とお休み明け】
去年の今頃はほとんど学校に行っていなかったけれど、ちょうど冬休みの最終日に仲の良い子が、遊びに来てくれたことを思いだした。
今朝、ネットに流れてきた読売のこんな記事を読んだ。
今でも時々休む息子。やりたくないことを体で表現する意思の強さはすごいなと思う。
その一方で学校で何が起きているのか、実態がどうなっているのか、依然としてわからない。
息子が行き始めた去年の秋ごろ、私は一日授業を見学させてもらおうかなと思ったことがあった。でも、息子が嫌だと言ったので、帰ってきた。
去年の今頃は、もう学校には行かなんだろうなー、何しようかなーって思っていた。で、最初に考えたのは家庭教師の先生にきてもらうこと。なんでかというと、勉強が嫌いそうには見えなかったから。
3年生のころ、先生から聞いていたのは、教えたやり方で問題をとかないで、別の方法をやってくれた時は、よく前で書いてもらっていました、ということ。息子は、たまたま教えてもらったやり方ではなくて、ほかの方法を思いついたことがあって、あえて違う方法で解いていたわけではなかったから、わざわざそれを前で書かされたことが、嫌で嫌でたまらなかったのかもしれないなぁ、と今では思う。
学校は同じことをやることが褒められる対象だったりするので、それが苦手な子は生きずらくなるのは、当たり前なんだと思う。
今では学校にぼちぼちと行くようになり、極端に勉強を嫌がることもない。
その一方で、嫌なものは嫌だと言ってやらない、ということをしている。
先生がおっしゃるには、勉強はなぜか頑張ってやっています、とのこと。
冬休み中、ほとんどの時間をゲームとyoutubeに費やした息子ですが、書く宿題はほとんどやった。
書初めはやっていない。今日もやらないようだ。
今日は、近くでパパと私とおもいっきりサッカーやり、やり始めたら楽しそうだった。運動するのも本当は嫌じゃないんだろうな。
息子の経験からしても、無理して学校に行かなくてもいいと、今でも思う。ほかの人と違うことが嫌じゃなければ、やりたくないことを我慢することもないような気もしている。だけど、そのまま放って置かないで、子供が一体何に興味があって、何に夢中になれそうか、少し、親が子供に近づいて、種まきしてもいいと思う。
ゲームは親も簡単だから、与えてしまいがちだけど、ゲーム以上に刺激的なものが、きっとその子その子にありそうな気がする。
ね!ときわくん。けいくんは、ゲームも好きだけど、鬼ごっこもサッカーも好きだよねー。