【すべては自分のため】
自分のことと、家族のことをこうやって書いていると、少しずつ、自分のことなのか、社会のことなのか、境目がなくなりそうになる。
旦那さんのことで、私は仕事を休み、付き添い、子供のことだけど、仕事を遅刻して、学校へ連れていく。
例えば、子供のため、旦那さんのために「私が頑張ってる」と思いたいのかな?と、自問自答してしまったりする。
そうじゃないと言い切れない。
できる限りのことをしないと後悔しそうだと思い込んでて、実際はそんなことないかもしれないけれど、やろうとしてしまう。
でも、たぶん、「役割」として「なにかをする」ということが、とても気が重いことは確かだ。
私は彼らと友達だったら、とか、彼らの友達の奥さんだったら、とか、友達のお母さんだったら、同じ行動をするのか、とか想像する。たとえば親戚だったら、とか。近所に住んでいたら、とか。
あり得ないんだけど。
ぐるぐるした挙句に出す答えは、結局、自分のためにしか、私は生きることができないんだろうと思う。
家族のためであったりしても「誰かのため」というのは究極、それを見逃したり、それを放置したりする自分が後悔しないための、言い訳なんだと思う。
そんなことを完璧にできるはずないけど。
でないと、バランスが取れない。
たまたまだけど、他人に伝わったらありがたい。
今日は病院からの電話待ち。自分のことならどんなに気が楽か。
会社の同僚がこの前見逃したNHKの番組の録画と旅行のお土産くれた。
全然集中できないけど、会社に来てよかった。やることがあってよかった。
今日も長い長い一日。