未来志向でいこう。

今日もまた新しい一日。私と家族の超プライベートな日々の出来事。

【朝の習慣 見直しその後】

去年の秋ぐらいだったか、一年の朝いちばんに、何をするかで1日が変わるんだろうなって、感じがして、しばらく朝いちばんにすることは手芸にしている。

 

起きたらコップいっぱいの白湯を飲み、すぐに編み始める。

ここのところ、いろいろあって集中力がなくなってて、それを取り戻すのに、大切なことは手を動かすこと。

これをやって1日を始動する。

 

今朝は、おとといDVDに焼いてもらったアイラ島の景色を眺めながら、せっせと編む。とにかく編む。

 

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アイラ島は、ボウモアというウィスキーでも有名。観光客も結構訪れるらしい。息子の同級生の美容師のお父さんがウィスキーが大好きでアイラ島の話をしていたのを思い出した。

 

https://ja.wikipedia.org/wiki/%25E3%2583%259C%25E3%2582%25A6%25E3%2583%25A2%25E3%2582%25A2

 

ちょうど今、アラン模様のマフラーを編んでいるし、去年アイリッシュフルートのミニコンサートも観に行ったりして、奏者の方からスコットランドあたりの話を聞いていたので、お話が蘇ったり、くれた同僚の話を思い出したり、とてもとても気持ちのいい朝だった。

 

いいなあ。いろんなものが次々とつながっていく。

 

こうやって、気持ちのいい朝をこれからも続けていきたいなあ。

 

 

 

【子供の手を放すこと】

 

数日前に娘が少し離れたところまで、友達と遊びに行きたいというので、

 

いいね!わくわくするね!行っておいで!

 

と明るくいうと、数日後。

 

ほかのみんなお母さんがダメだって言うんだ。ママのこと、そんな風に言ってくれていいね!って言われたんだ。

 

へーー。そうなんだ。

 

以前、私が大阪出張だった時、私が大阪についてから、パパと子供たちを千葉から大阪に呼んで、USJで遊んだことがある。この時、パパは日本語がほとんどダメだから、お姉ちゃんが、電車の時間を調べて、切符を買って、3人で新大阪の駅まで来た。
この時、娘は4年生ぐらいだったと思う。

 

とにかくUSJに行きたい一心で娘は、一生懸命パパたちを誘導して新幹線に乗ったのだ。私は、大阪まで行けるんだから、もうどこでも行けそうな気がしている。もちろん海外だって!

 

危ないんじゃないかということもあると思うけれど、ニュースになるような危険を考えていたら、手を離すことなどいつになってもできない。

 

私は自分が旅行が大好きでもっと若いときにたくさんたくさんあっちこっち行けばよかったなって思うし、いまでももっとあっちこっち行きたいと思っている。

 

だからもし、子供が行きたいというなら、一人でいけなければ一緒に行きたいと思うし、友達と行きたいというなら、うん、行っておいで!とそっと手を放す。

 


一人の友達の子が言っていたのは、お母さんがダメっていうから黙っていく!っていうんだ。


ママは思うに、その子はお母さんがダメっていうけど、きっとママが許してくれることをその子は知っているような気がするんだよね。絶対に親がダメっていうことはやらないでしょ〇〇ちゃん。

 

うん、そうかもしれない。


もしかして、逆方向の電車に乗ってしまうかもしれない。
道を間違えて遠回りしてしまうかもしれない。
携帯の充電が切れてしまうかもしれない。

いくらだって、リスクは考えられる。

いつまでも近くにいて、べったりしたいなとも思う。

 

それでも、えいやって手を放していいんじゃないかと思う。年相応に子供は成長している。

 

ほったらかしにするのとは違う。ヤキモキしながら、待つのが親ってもんだろうな、きっと。自分よりもずっと早く大人になろうとしている娘がキラキラ見えて仕方がない。

 

うらやましいような、ほっとするような、ね。

 

ね、ときわくん。置いていかれたら、二人でドライブでも行こうかね。

 

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【自分にできること:その2】

もう一つ、最近思うのは、例えば、私は今、サラリーマンで管理職をしていて、時々は営業もしていて、そこでの役割と、家庭での母や妻というと役割、私は私という役割で、大切にしていることって何かなあと思って。

 

というのも、北欧、暮らしの道具店という、ネットの雑貨屋さんの連載の一田憲子さんのエッセイを読んだから。

 

【メルマガエッセイ】「一田憲子さん」が綴るエッセイをお届けします。 – 北欧、暮らしの道具店

 

昨日の夜の配信のタイトルが、とても良かったし、中身もよかった。

「大事なのはどんな仕事をするかではなくて、どう仕事をするかだった」

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まさに、その通りだなあと。

たまたま、私は、今の仕事をして、今の環境にいることで、できないこと、あるのだろうか。多分できないことはないと思うけど、「ご機嫌な状態で」できるかどうか、かなあ。

 

態度は誠実だったか、ご機嫌だったか、そうでないなら、どうしたら、そんな風に行動できるのか、そちらの方が私にとっては大切だったかもなあ、なんてぼんやり考えた。

 

昨日、同僚と話をしていて、別のうまくいってないチームの話になり、香取さん、そのチームで改善やったら?って言われたんだけど、それよりも、そのチームのリーダーの態度が変わらなければ、永遠に変わらないよなあと思って。

 

リーダーがご機嫌でないチームにいても、チームメンバーはご機嫌ではいられないと思う。

 

自分のご機嫌は自分で取れる人になりたいなあ。

 

だいぶ、できるようになってきたと思うんだけど。

 

さ、今日は仙台出張。

1年ぶりぐらいかな。

今日もご機嫌で仕事ができますように。

 

 

【自分に出来ること:その1】

去年の今頃、あるコミュニティを抜けました。1年ぐらいたつかな。

 

そのコミュニティではたくさんのことを学んだし、たくさんの友達もできて、今でも御縁があることもあって、本当に感謝している。

 

私は、1年目は、メール会員。2年目は、講義の会員。3年目からは、マラソンを始めてそちらに力を入れていたので、またメール会員に。6年ぐらいはいたのかな。

 

ラソンを始めた時に思ったのは、そこで学んだことを、コミュニティの中だけでなく、外でも生かせなかったら、学んだことが形にならないなあと思ってて、それから学んだことを仕事や私生活にどんどん使ってみて実験を始めた。

 

このネットの時代、どんなコミュニティに属するのが得か損かとか、今はそんなことも言われたりするから所属感がないことは、とても不安定な感じもする。だけも、結局は、一人になってもやり続けたいことは何で、それを続けたいか、ということのような気がしている。

 

今でも仲間もすごく大切だからこそ、たくさん頼るし、たくさん助けたいなあと思うから、なおさら、自立したいなあとも思う。

 

条件がなくちゃできないことしかやらないっていうのは、もったいないものね。

 

 

【中国人の同僚と定期ランチ】

中国人の同僚と定期的にランチに行きます。

田町の駅から慶応大学へ行くほうの出口を出て、飲み屋さん街の中にある中華料理やさん。

高記食府。

ここの黒ゴマ担々麺の小辛はまろやかでうまい。

でも、今日は、お肉が食べたくて、ニラレバ定食。

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同僚は、チキンにめっちゃ辛いタレがかかってるヤツ。

 

店員さん、明るくて、気が利く。

正直中華料理屋さんの店員さんで、気が利く人は少ないんだけど、
ここの店員さんは、

 

セマイカラ、ネ。


と言ってテーブルを少し動かして座りやすくしてくれたり、

 

オマタセシマシター。

 

と言われて受け取ると、

 

アリガトゴザイマスー

と、ニコニコ。今日は、私がニラレバにしたら、

 

キョウノ レバハ シンセン ヨ!

 

って。選んで正解!そして、モリモリ食べて、元気になった。

 

中国人の同僚は、見た目がとてもソフトで、大陸的なおおらかさがあって、私は大好き♪
いろんな大らかすぎる噂もきくけれど、全然、無問題。

私ももう少しおおらかで大きい器になりたいもんだわ。

 

文句を言っているだけの会社生活からはだいぶ成長して抜け出していて、こうやってご飯を一緒に食べて、会社でもご機嫌でいられる日が増えてきた。

 

仲間はありがたいね。

 

【すべては自分のため】

自分のことと、家族のことをこうやって書いていると、少しずつ、自分のことなのか、社会のことなのか、境目がなくなりそうになる。

 

旦那さんのことで、私は仕事を休み、付き添い、子供のことだけど、仕事を遅刻して、学校へ連れていく。


例えば、子供のため、旦那さんのために「私が頑張ってる」と思いたいのかな?と、自問自答してしまったりする。

 

そうじゃないと言い切れない。

 

できる限りのことをしないと後悔しそうだと思い込んでて、実際はそんなことないかもしれないけれど、やろうとしてしまう。

 

でも、たぶん、「役割」として「なにかをする」ということが、とても気が重いことは確かだ。

 

私は彼らと友達だったら、とか、彼らの友達の奥さんだったら、とか、友達のお母さんだったら、同じ行動をするのか、とか想像する。たとえば親戚だったら、とか。近所に住んでいたら、とか。

 

あり得ないんだけど。

 

ぐるぐるした挙句に出す答えは、結局、自分のためにしか、私は生きることができないんだろうと思う。

 

家族のためであったりしても「誰かのため」というのは究極、それを見逃したり、それを放置したりする自分が後悔しないための、言い訳なんだと思う。

そんなことを完璧にできるはずないけど。

でないと、バランスが取れない。

 

たまたまだけど、他人に伝わったらありがたい。

 

 

今日は病院からの電話待ち。自分のことならどんなに気が楽か。

 

会社の同僚がこの前見逃したNHKの番組の録画と旅行のお土産くれた。

 

全然集中できないけど、会社に来てよかった。やることがあってよかった。

 

今日も長い長い一日。

 

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【落ち着かない日は寝る】

昨日出かけて、コーヒーを買って、そのコーヒー屋さんで、コーヒー飲んで。

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整体で首をみてもらって、ホームセンターに行き、カーペットを買った。

今朝は朝からカーペットを敷いて、

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午後からぐったり疲れて昼寝。

 

ときわも昼寝。

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なんだか、なんにもやる気にならない。

とりあえず、やらなくちゃいけないことはやるんだけど、ね。

時間があるとビデオをみて、

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編み物する。

 

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困ったな。

 

明日は、病院から電話が来るんだろうかねー。

 

チーンってなってる私をみて、息子が台湾の豚のお守りをくれた。

 

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前に私が兄からもらったのを、息子にあげたものだけど、ね。

 

さ、寝るかなー。