未来志向でいこう。

今日もまた新しい一日。私と家族の超プライベートな日々の出来事。

【PTA主催のフェスティバルの役員のお仕事と息子】

 


昨日は、土曜参観(うちの学校ではオープンスクールという)と、午後からはPTA主催のフェスティバルというお祭りでした。息子が学校に行ったり行かなかったりなのですが、給食費も学校費もPTA会費も払っているため、学校の行事は参加させてもらうことが多いです。

で、まぁ、学校のPTAの役員は回ってきます。その中のフェスティバルの役員にくじできまりました。最初の2回は会議と仕事の会議が重なり欠席。出し物は去年と同じものを、ということに決まった。

出し物は、バザー、手作り品、有料ゲーム、無料ゲーム、味覚、体験コーナー。
子供が減る中で主催する担当も、当日、前日の会場のお手伝いを募るだけでもかなり大変。息子の学年は今年は有料ゲームコーナー。

役員はゲームを主催するために、会場の設営、景品の購入、お手伝いさん達の配置、前日準備、当日の仕切り、会計、これらを2人でやります。
なかなか大変です。

 

私はいつもこういうのってやり始めるときはすごく腰が重いんですけれど、やるとなったらやる、と頑張る。一緒に作業させてもらった人たちと話ができるのは、とても勉強になる。息子の学年のお母さんたちは、手伝ってくれる人が多くて本当に助かるし、あれがだめ、これがだめ、とかいうこともほとんどないです。

学校のことはめんどくさいことも多いんだけど、やれることはやろうと思うのが親心。
外にいて批判することが一番簡単で、一番変わらない。内側だからこそ感じて、動こうのするんだろうな。

反省会では、習い事や家庭の都合で、来られない人もぼちぼちでてくる中で、継続自体がどうなんだろうという声も、委員の中からもかなり上がっていました。有志でやるのもいいのかなーとも思いますが、お手伝いが出てこないとなると、なかなか大変だと思う。

子供たちが少なくなっていく中での運営はやっぱり考える時が来ているのかなぁって思う。形を考え直すときかなぁ。

 

あと、息子は仲のいいお友達と参加できました。

2年生の時のお友達。今もずっと仲がいい。来年はクラス替えがないというのは決まっているので、最後までクラスは別なのが決定なんだけど。ゲームコーナーで二人を見かけたんだけど、その子もけいのことが好きなんだろうなって思ったのは親の欲目なのかな。

 

息子は昨日帰ってきてから、

僕ね、5年生はあと少し学校に行くと思う。6年生は全部行く。

と話した。

私は、

そう。

と答えて。お勉強はいくらでもやりたいときにやればいい。でもね、友達は、その時一緒にいないといつ会えなくなるかわからないもんね。

 

って、思ったけど。言わなかった。

私は、息子が学校に行ってもいかなくてもいいと今も思っています。行ったからよし、とも思わない。息子が息子らしくいてくれればそれでいい。

 

役員の仕事でも、学校でも、仕事でも、難しいことばかりでも、その中に少しの楽しみを見いだせて、やっていけるかも、って思えたらそれで充分なんだろうと思うのです。

 

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【言葉にすること】

 

ここのところ、会社でアサインされた研修と日々の生活がリンクすることがある。それは、感情というか自分の状態を言葉にすること。

会社の研修が始まったときに言われたことの一つとして、これからのリーダーには無意識にあるものの活用が必要になっていきます。無意識を使うというのは、無意識にあるものを有意識にもっていくことなのですが、どうやって持っていけばいいでしょうか?というお題がでました。研修のガイダンスの時でした。

答えは、言葉にすること。でした。

言葉にすると、有意識になる。

これは結構おもしろいなって直感的におもいました。

そういえば無意識って感じることができないけれど、無意識の中の一つに感情があるのかもなって最近思っています。

もやもやしたり、イライラしたり、なんだか説明できないもの。

これって、感情を言葉にすることによって、改めて自分客観視できる。なんとなく思っていることを言葉にしたとたん、自分から離れるというか、反応的になることからちょっと距離を置くことができる。

反応的というのは、衝動的に何かを起こしてしまうこと。相手に引っ張られるともいうかもしれない。そういうことから距離を置くことができる。

これが実はとても大切なことらしい。リーダー研修と言っても、やっていることはとても人生のために必要なことだったのかもしれない。メタ認知に関係していると思うんだけど、メタ認知ができるというのは自己統制力を高めることができるんだろうな、という感じです。
この前読んでいた『GO WILD』という本の中にも書いてあったと思うけれど、瞑想の時間やトレイルの時間は脳によさそうというのと、つながってきた。

そのためにトレーニングとして研修でやっていることは、マインドフルネス。瞑想です。瞑想はそういう脳のトレーニングにとても効果的のようです。私は以前にヴィパサナー瞑想を続けていたことがあります。ヴィパサナー瞑想は歩く瞑想。研修ではボディワークといって、体の状態を観察する瞑想があります。

どちらも体の状態を実況中継している状態を数分間維持します。
ほかのことが頭に浮かんできても、体の観察に意識を戻すこと。

メタ認知力を高めて、観察することに集中することができる。
私にはまだ再現性がない、というか、何がよかった状態なのかうまく説明ができないので、ヴィパサナー瞑想を復活して続けてみたいと思っています。

少し話がそれてしまったけれど、

 

衝動から意識して距離を置き、メタ認知して、それを言葉にする。

という流れをしばらく続けてみたいと思います。そのためにブログはなかなかいいツールかもしれないな。

 

ね、ときわくん、寝てる場合ではないぞ。

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【寂しさは誰でも持っている】

www.yamanoue-hotel.co.jp


昨日は、友人二人と銀座で天ぷらを食べてきました。銀座で天ぷらなんて♪

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天ぷらは季節のお野菜がメイン。衣はうすくってパリパリ。上がったお野菜のほんのり甘さと、お出汁の上品さ塩気と本当にプロが揚げる天ぷらってこんなにおいしいのかぁ。。。

しかし撮った写真は最初に説明された食材のみとマイタケだけ(笑)

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そんなおいしい天ぷらを食べながら、私たち3人はそれぞれの過去と未来を行ったり来たりしながら、たくさんの話をした。

 

私は、自分に起きていることを話すとそれに反応してフィードバックをくれるお二人にいつも感謝の気持ちでいっぱいだ。普通のサラリーマンでなんだか、このままでいいのかって想いをいつも思っているし、やりたいことがやまのようにあるのに、なかなか一つ一つ丁寧にできなかったり、つまらないことにひっかかっていたり。

 

昨日は、自分が寂しいって思う感情をもっていたことに気が付いたんだって話をしたら、


みんなね、寂しさは持っていると思う。

 

って、言葉が返ってきて。どんな人も孤独を持っているんだって。

そうだよ、そうだよって思った。どんなに大勢の人に囲まれていることがあったとしても、家に帰って一人を味わうことってあるよね。もしかしたら、大勢の中にいるひとだって、孤独を感じることはあるのかもしれない。

 

だからね、こうやって、友達や恋人や好きな人と会って、一緒にご飯を食べたりするんだよね。

 

って。


すごーーーーく、納得して。私には家族もいるし、両親も健在だし、仕事は順調だし、とてもとても幸せな部類なんだという自覚はあるのに、夜中に無性にさびしいなーって思う時があって。みんなそういう日があるんだってわかって。なんだかとてもしっくりした。

 

最近、こういう感情に気が付けるようになった。私は以前から心の勉強に興味があってそれを伝えたら、もう香取さん、できてるような気がするよ、って言われた。なるほど。そうかも。ここのところ、感情をたくさんメモして眺めるようにしている。ポジティブな感情もネガティブな感情も。SNSに書き出すこともあるけれど、手帳にも書いている。書き出ししまってから気が付くこともある。

 


それと、もう一つ。
もし、好きな人がいたら好き、と言葉にして伝えることの大切さ。それは肉親かもしれないし、異性かもしれないし、もしかしたらすぐそばにいる友達にも。言葉で伝えることの大切さ。それは、相手のためにというより、自分のために。後悔しないために、っていうこととも少し違う気がするんだけれど、ほかにぴったりした言葉が思い浮かばない。

 

会えることとか、話すことができるというのは、お互いの時間が許せたその瞬間は奇跡のようなもので。いつもいつも会えるとは限らないんだもの。だからお互いの気持ちを伝えることは、とてもとても愛おしいこと。そしてもし、そういう気持ちを受け取る側なら、うれしかったら嬉しいと伝えること。大人になると褒められることも告白されることもどんどん減って、自分がカサカサになっていく。だから、受け取り方も忘れてしまう。

 

だけどね、もしね、うれしい言葉を受け取ったなら、ちゃんと嬉しいって言葉にすること。これねーー。すごーーーく大切だなって最近思うのです。自分の中に嬉しい気持ちが充満してくるのがわかる。


大人だからこそ、気持ちを大切にしたいなぁと思う。
お二人と話しながら、思ったことを残しておきます。

またおいしいもの食べに行こうね。

 

【空を眺めること】

私は空を眺めるのが好きだ。
うちの娘が、昨日、この辺は家がたくさんあって、広い空がみえるところがないよね。というので、私のお気に入りのスポットを教えてあげた。

本当は内緒にしておきたいけれど。寒い朝に朝日が昇る直前の空の色が好きで時々走りながら写真を撮っている。こうやって空を眺める時間は、いろんな面倒なものを少し忘れられる。

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ここのところ、落ち込んだり、めげそうになったりすることがいくつかあって、気分的にはローだった。でも、毎日ご飯は食べるし、仕事はするし、学校役員のやらなくちゃいけないことや、研修の課題はそれなりにこなしている。

で、どうしても、これは悲しいなっていうことが起きたので、映画を観た。
とりあえず手元にあるものをおいておいて。

佐藤健の『世界から猫がきえたなら』

 

世界から猫が消えたなら
 

 

泣いちゃう映画を選んで、泣きながらいつのまにか寝たら、少しだけ気分が復活した。

でも、ここ数日の気持ちの落ち込みからは戻ってこれない。こんな日もあるんだなあ。外はお天気がいいし、空は青いからこういう日はそとにでて、日に当たったら、少しは気分も変わるかな。お昼は外にでよう。

いろんなもの。やらされ感でやるのは嫌だから、リセットして自分のご機嫌は自分でとって。

今日もまた新しい一日。

午後がんばったら明日は週末。

 

【2つの台風】

 


9月と10月と2つの台風が過ぎていった。

散々報道もされているからもういやだなって思う人もいるかもしれないけれど、少し書いておこうと思う。

 

今回の災害はどちらも台風ということで、予め予測が出来た。それに報道でもたくさん注意喚起されていた。それでも被害は甚大だったと思う。

 

実家が利根川下流域の堤防のすぐ脇にあり、小中高の友人たちやその家族もたくさん住んでいる。利根川下流域の氾濫を想像するだけでゾッとする。

 

兄の家は多摩川のすぐ近くにたっており、10月の台風では、避難をしている。

 

結果として、実家も兄の家も、2度の台風で被害を受けたのは、実家の物置だけだったのだけれど、正直、2度とも災害直後に実家に帰省して存外体も心も疲れた。

 

異常を脳が理解できていなくて、現場をみて始めてようやくああ、大変だったのだと理解が出来た。

 

1度目の台風の時、母は少しおかしくなりかけていたと思う。電気の復旧がいつになるかわからない不安。たった4日、と書くとそうでもないのかも知れないが、その当日まで復旧出来るかが、わからない状態で携帯の電池が切れてしまう恐れから、連絡もままならない状態だった。数少ないLINEのやり取りで、不安な様子が伝わってきたので、電車が動いた時点で仕事の休みを決めて実家に様子をみにいってきた。その時の母の様子は、ほんとに顔をみて話すことが出来ることがどれほど嬉しいことか。と言っていた。あの時、帰って話ができてほんとによかったと思っている。

 

2度目の10月の台風。

元々また千葉に来るかもしれないという話だったから、水も風もそれほど心配のない、うちに来たらどうか、と話をしていたけれど、様子をみると言う事で、家族はそれぞれの自宅で待機することになった。

まず我が家は共働きなこともあつて普段からウォーターサーバーを置いていて、その替えを備蓄用としている。それを子供たちにも伝えているので、今回も特に水の買いだめはしていない。お米は毎年1年分を実家近くの農家の人から直に買っている為、米の買い出しもしない。キャンプ用品があるので、卓上コンロもシングルバーナーもあるので特別買い出したものはない。雨戸のない窓はAmazonのプチプチを取っておいてあるので、それを広げて各窓に布テープで貼って置いた。カーテンもしめて。ニュースを見ることになると思うけれど、一日見ていると滅入るので、家族で映画をみたり、アニメをみたりして、気をまぎらわせいた。

12日の午後、母から予報よりも少し西寄りの進路で、静岡、神奈川の雨がひどいと聞いていたが、川崎に家がある兄の家が避難をしているというのを聞き、連絡をする。山の上の中学校らしい。

12日の夜中、避難解除になり兄家族は自宅に戻ったと連絡あり。

13日、各地の災害のニュース。この日は午後から買い物に出かける。夕方実家から連絡が入り、防災警報で利根川下流域で避難勧告が出て、避難することになったと。そこからTwitter利根川下流域の推移を夜中まで追っていた。あの辺りで水が出るのはいつぶりなのか。翌朝2時半頃避難解除とになり、父と母は実家に戻ってきた。 

14日。元々、実家に頼んでいた新米を取りに帰る。久々の運転だけど、道が塞がっていないことを祈る。

10時に出た時にはまた雨。途中でお昼を食べて、1時頃に実家に到着。

春に撮った写真はこちら。

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14日はこちら。川はば700mのこの川がきれたらどうなるか。

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とにかく。

いつもの違うんだ、と、自分に言い聞かせるのが精一杯。怖いのはまあ、自分だけは大丈夫、って思ってしまうこと。危ないと思った時にはもう遅いって思うことの方が多い。

大切なものを整理しておく。持ち物を減らしておく。

身軽になる気持ちになったので、また荷物を少しずつ整理しておこう。

今でも復旧していない所もあるらしい。

被害にあわれた方々は、どうか少しずつでもいいので、生活を取り戻せますように。

 

 

 

 

【中学校の進路説明会:令和2年千葉県公立受験】

木曜に娘の中学の進路説明会の2回目。

千葉県の公立高校の入試は、娘の受験の年までは原則前期・後期の2回の募集があり、そこまでのスケジュール。その2回の受験方法と私立の受験の方法についての説明があった。

 

*まずは公立高校
2月3日に出願なので、1月中に受験校を決めればいいのだけれど、そこまでどう頑張るかもあるので、もうこの時期には決めておきたいところ。
そこまで成績が伸びていなくても、ぶっちゃけ受験に間に合えばよい。

 

*私立
11月下旬には志望校を決めて、12月には先生方が各高校へいって入試相談というのをしてくれる。
予定調和じゃないけれど、ある程度の可能性を探ってきてくれる?らしい。
入試相談は一人1校と決まっているので、私立の中でも第一志望を決めておく必要がある。

 

つまり、11月末までには私立高校を、1月中には公立高校を決めておく。

親が確認しておくことで大切なことはスケジュールとお金の準備だと思うけど、志望校が決まっていなかったら、それもままならない。

 

娘は高校も楽しく過ごしたい、ただそれだけのようなのだが、それはどうしたら実現できるのか、というところがイマイチ現実味がなく覚悟できてない。

親としては焦りがないと言えば嘘になるけれど、そもそも誰かのための進路ではなく、自分のための進路なわけだから、ある程度は自分で決めていってほしい。

私立は1校しか見に行っていないけれど、来月には志望校を決めなくてはならない。のんびりしてたけど、もう少しは私も手伝ったほうがいいかな。。。

受験用の資料をもらえる説明会は10月11月に集中している。
少し予定を確認しておかなくちゃねー。

 

 

【マリサさんのフラのホイケ(発表会)に観てきました】

 

お友達のマリサさん(私のアイコンのイラスト書いてくださった)のホイケというフラの発表会を観に行ってきた。

 

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当日、お友達3人ともお会いできてうれしかった。

その中のおひとりゆっぴーさんがイラストにしていた。これまたかわいい。

イラストでここに写真がない衣装のものをアップされてました!

 

www.instagram.com



フラダンスは、例えばイベントペースとか、ハワイアンズとかでみることもあるとおもうけれど、今回の発表会のなかでももちろんそういうダンスもあったんだけど、それだけでなく、カヒコという古典のフラダンスがあった。

 

歌にあわせて踊るカヒコは、震えるほど素晴らしかった。
写真を撮ろうと思っていたのに忘れてしまうほど。

ああいうダンスというのは、シンクロさせることも大切なんだろうけれど、
みていてシンクロしていなくても、一人一人が意味を理解して一生懸命表現している姿は、なんともいえない。

 

私は今回はマリサさんを知っている人と一緒に観に行ったほうがいいかなと思って、マラソンを一緒に走った主人をさそった。普段は映画にしても舞台にしても、音楽にしても私よりも反応が鈍い旦那さんと一緒にいくのは、ちょっと気が引けるんだけど。

 

しかしね、私も主人もとても感動したダンスがあった。
お一人、目の不自由な方がいらっしゃってその方がほかの方と一緒に踊っている姿。

ダンスは音に合わせて踊るから、目が見えなくても踊ることはできるだろうけれど、
どんなダンスなのか目に見えないものを表現するというのは、どんな気持ちなのか。
とにかく、主人が隣の席で、ダンスが終わるなり、

 

スバラシカッタネ。。。

 

ため息交じりに言ったことに、私も本当に同意した。

きっと音楽にあわせて先生がその方の手を取りながら教えたのだろうと想像しました。

私はちょっとフラダンスを舐めていたんだろうと思う。
神とつながろうとするものの一つが音楽やダンスであっただろうことは、星野源のポップウィルスってことなんだろうなー。

最近、星野源のPOP VIRUSをききまくっていて、星野源のインタビューにいきついた。

 

【星野源】「Pop Virus」歌詞の意味&解釈 ”ポップウイルス”とは何か?脈々と続く音楽… : スピタメウォッチング


この中に、

この曲について本人が語るところを引用してみる。

“「(略)たぶん歌って人間が生まれた頃から、文明みたいなものが生まれる前からあったと思うんですよ。(略)そう考えると、太古に生まれたポップウイルスっていうのは今まで1回も途切れずに、いろいろ形を変えたり成長したりしながら、今の僕達の心だったり今の世の中で鳴ってる音楽の中に生き続けてるんだなって、本当に思えてくるんですよね。そうなると、もっと未来、100年後とかじゃなくて、1万年後とか2万年後の未来までこのウイルスは生き続けていくんじゃないかって。(略)だからポップウイルスというのは音の中に実際にあるんじゃないかなっていう感覚と、音楽って果てしなく続いていくじゃないかなっていう感覚が、今、自分が鳴らす1拍っていうのは永遠に鳴る1拍であるっていう、この歌詞になってるんだと思います。(略)」

とある。

これってね、本当かもしれないと思って。

たまたま、去年古事記を読んだりしてて、神楽も少し調べたりしていた。
だからかな。日本でいえば神楽なんだろうと思って、すごく感動できたのかもしれない。

マリサさんお招きいただきありがとう。
またみせてね。