【先が見えない時にすがるものは何か】
先がみえないといわれ続けて早30年。
平成の間ずっと先がみえないといわれ続けてきた。
私は、高校に上がった年が平成元年。
歳、バレますね。
隠してないのでいいんですけれど。
この間ずっと、何を見ながら生きてきただろうか。
先が見えないって言ったって、現実、目の前の仕事や、目の前の子育て、いつもいつも目の前のことに一生懸命だった。
もう、ぼちぼち、子供たちも手がかかるという年よりも大きくなり、話もだいぶ通じるし、
ある程度の生活はできる。
これまでの家族時代から、少し自分軸にシフトしつつある。
そうやってまた自分軸に戻ってきたとき、すがるものは何だろう。
お金だろうか?
占いだろうか?
権力だろうか?
知識だろうか?
旦那さんの検査を結果を待ちながら、ぼんやり思ったのは、やっぱりリアルな友達たちと、ほんの少しの好きなことなんだろうなー。
映画を観ながら、コーヒー飲みながら、編み物できたら最高!
キャンプに行き、友達と火を囲みながら、ビールを飲めたら最高!
縁側で庭を眺めながら、お茶を飲めたら最高!
朝、少し早起きできたら、少しだけ歩いたり、走れたら最高!
風が吹くお部屋で猫をだっこしながら、少し目を瞑ることができたら最高!
ばかなこと言いながら、笑って友達とお酒を飲めたら最高!
怒りや不安をほんの一瞬、忘れることができるだけで、明日も頑張れるかなーって思える。
繊細さテストみたいので、繊細さは弱だったけれど、鈍感だって、気になることはあるし、傷つくことはあるし、チキショーって思うことはある。
だけど、そこからどうやって、元の自分を取り戻すか。その方法の方がわかっていることが、よっぽど生きていくには必要なことかもしれない。
今日、旦那さんの検査をしてもらったときみたいに、必要十分のことがわかれば、それ以上のことはもう見ない、ということも、ある意味、強く生きる一つの方法なんだと思う。
疑うことを少しおやすみして、信じること。
大丈夫と一瞬でも信じること。
先のことを考えすぎないで、今を信じること。
そうやってほんの少しの楽しみを感じながら、幸せに生きていきたい。