【新しいものはもういらない】
便利なもの、目新しいものが以前は大好きでした。なんでかんでも盲目的に取り入れていた時期がありました。今も少し心が動かされます。でも、ずいぶんと必要なものが減ってきたように思います。
息子のおもちゃも、洋服も、電化製品も。欲求は止めどない。いくらでも欲したところで、自分が使える時間は限られている。
ここのところ、毎日部屋の掃除ができています。もちろん、本を読んだり、編み物をしたり、こうやってブログを書いたり、手帳に書いたり、amazonプライムで映画をみたりもするけれど、スッキリとして、肌で感じる気持ちよさ以上に満たされるものはない。
子供たちはそんな部屋を容赦なく散らかしていく。ダラダラと散らばるコンセント、あちこち置かれるプリント。山のような洗濯物。
どれをとっても、大きくなる前に小さいうちに片づけをしておけば、そんなに大変じゃないんだよね。
新しいことが始まるたびに以前は飛びついていたけれど、何かの焼き直しであることがほとんどで、それに気が付いていれば、それほど慌てることもないのだろう。
古典でいえば、旧約聖書のこんなところがすごいと言われれば、へええーーー、と言い、古事記でこんなことがすごいといえば、へーーーー、と言い、仏教のこんな教えがすごいと言えば、へええーーー、というような、そんな感じ。古典を読むことでさえ薄っぺらく、表面的だ。
本当はそんなことをしたいんじゃないんだ、きっと、とわが身を振り返る。振り返る余裕ができたのは、やることをだいぶ減らしてるから。
世間様があっちっていえばあっち。こっちっていえば、こっちっていうことに疲れたってことなんだけどね。みんな仲良く、が、私にはできない。そう認めたらすごくすごく楽ちんだ。一つずつ積み上げた上にあることと、サラッと流して知ったつもりになることは大きく違うんだろう。
息子ももしかしたらそうなのかもしれないなあ。
学習を小さいころから積み上げる習慣のない息子は、今、家にいて、何を積み上げていっているのだろうね。
ときわくん、ママはね、もう新しいことをたくさん知るということはやめたんだ。
たくさんの物も、もういらない。けいくんもそう思っているのかな。